口から産まれたタイプというのは確かに居る。

云いたいことを云うために、ときにポーカーフェイスに、ときに涙目で。

根拠が無くても、場の空気が冷めていても、議論そのものがチグハグでも、決定した事にバックデートをかけてでも。

そういった全てに気がつかないのか、あるいはその全てを無視する特殊な能力を持ってしまったのか。

序盤はみんな流してくれる。
“(気持ちは)判るけど、解決に繋がらない(件だ)ね。”

場のみんながこう思い始める。
“今その話じゃないのに。。”

よりわずらうと、うつむいたみんなの終着点はここだ。
“なんで、今、ソコ(例えばほとんど本質とは関係がないが形式的に似た過去の経験談や、独善的な思いやり、それに結果に良い影響を与えないがみんなが今以上にヒマになるような係数、飼っている愛犬への想いの大きさ、なんかだ。あと海外でのエピソードとかね。)なんだ?”

そんな終着点を迎える頃には、みんな無駄な時間を過ごした疲労感で押し黙り、形式的とはいえ“口から”が何か論破した格好になる。

“口から”は勝利の美酒に酔う。

“ほらアタシは正しい”

とはいえ、もはや“口から”自身でさえ、得られた成果が何かを見失っている場合が多い。

“で、どうするんだっけ?”

みんなは必ず反省会(ラフな飲み会かなんか)をやるだろうし、“口から”を酒のつまみにする。

が、大方の場合、“口から”本人へのフィードバックは為されない。
この反省会を通じて、みんなは“空気を読める側”でいなくてはいけない空気によりいっそう支配されるのだから。

他方、“口から”の側に目を落とす。
決して指摘されない“欠点”に気づくことはまずない。
そうでなくても“口から”は考える前にしゃべり始めるタイプだ。言い負かすために相手の話を聴くことはあるにせよ、自らを回顧し内省することがもとから苦手だ。

反省の苦味を回避する為に、そして他の正論を封じる為にこそ、“口”を最大限に利用するのだから。

自尊心とサバイバルの為に言葉を用意し口を操る。中身など伴う必要は無い。相手の喉から吐き出されそうなノイズを封じて、自分の手数を確実に稼ぐ。ボクサーのTKOと一緒で、勝ちは勝ちだ。

そして、伝聞や議事録は、意外なほど議論の空気や中身について伝える力が備わっておらず、結果の数行や結論の1フレーズだけが独り歩きし、驚くような実行力を得ることになる。

同時に、他者理解や真に適切な解答からは縁遠くならざるを得ないのだから、人の世の価値は多様で複雑。

それにしても選べる道はひとつだけ。